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「さわのはな」が生まれた頃

 「私の名刺にはさわのはな<泣lッサンスという文字を入れています。地域に適した種≠守っていくことが、グローバル化に抗する道だと思っているからです。さわのはな≠ノ栄光あれ」(新庄水田トラスト栽培農家 佐藤恵一)

 山形が生んだおいしいお米「亀の尾」の系譜をひく伝説の米、「さわのはな」は、1960年3月に誕生した。
耐冷性と耐病性が特徴で、冷害にも負けずに豊かに稔り、他の追随を許さない。また穂イモチ病や根腐れにも強く、条件の悪い環境でも他の品種にくらべて安定した生長を見せる。

 まだ、農村が輝いていた49年に品種改良が着手され、元農水省東北農業試験場をはじめとする多くの人びとが、寒さや病気に強く・収量の安定したおいしいコメを、寝ても醒めても11年間求めつづけた力作だ。60年には輝かしい山形県の奨励品種にも指定され、いとしい・まぶしいこのコメに、彼らは心をこめて「さわのはな」と命名し、前途を祝した。

 「耕す者に土地を!」―当時の農業は、画期的な農地改革によってうまれた自作農体制を基礎に、コメ・麦に小規模畜産を組み合わせた有畜複合経営による総合的な食料の増産を目指していた。
 しかし、その理念を実現すべく生み出された「さわのはな」の栄光は、誕生した時にはすでにかげりがさしていた。


「ネットワーク農縁」の誕生

 95年3月、雪の残る新庄で「ネットワーク農縁」が結成された。ますますいびつになっていく都市生活と、農村の疲弊を、共に超えていこうとする都市エコロジストと農民のアソシエーション(協働)である。

 日本の農家は、時代に翻弄されつづけてきた。49年の中華人民共和国の誕生は、自立しはじめたばかりの日本の有畜複合農業を根底から変えた。50年の朝鮮戦争を経て、工業立国への転換と表裏をなす農業基本法(61年)で、農業の近代化・工業製品輸出とバーターの農産物輸入がはじまる。農民たちは70〜80年代の農閑期を出稼ぎとして工業立国を支え、いくたの家庭崩壊の悲劇を経験しつつ農家は衰退していった。

 都市に若者をとられる他方、化学肥料・化学農薬の大量使用で里・川・海の生態系はダメージを受けた。水田から生き物の輝きが消えた。

地域は個人個人の金取り話だけが目立っていった。“お祭りがつまんなくなったのよ。それが嫌でさあ”28歳の高橋さんは……自分も含めた地区の“放蕩息子”を集め「豊稲会」を旗揚げした。“ディスコ通いの毎日だった”という集まりも……仲間意識が強まり、稲作研究会へと発展。研究会は出稼ぎ先の東京・北区にも持ち込まれた。そこから市民活動の人たちへと縁が広がった。(『風の肖像』河北新報社編集局編126頁)

 「結」が盛んな独自文化、祭りの輝きを取り戻したい、そんな感覚から出発したネットワーク農縁の百姓たちは、当時30代〜40代の元気な農家14人である。

 「“これをみてみろ”持ち込んだ無農薬栽培のコメ“さわのはな”のご飯を指した。“クロっぽい点が見えるべ。これはカメムシがコメの汁を吸った跡なんだけどさあ、ほら、食ってもなんともねえべ”。八王子の子育てサークルの子連れの若いお母さんたち8人がうなずく。“見栄えのためには、農薬を使ってカメムシを駆除する。みんながいつも食べているのはそういうコメだよ…。さわのはなも市場には出ないコメだ。これは化学肥料が苦手で農薬が嫌いだから、つくる農家が少ない。んでも、味は最高。農家とつながっていないとこんなコメは食べれねえぞ”」

 「都市耕作隊」―首都圏で行う独自のゲリラ的キャンペーンを彼らはこう呼ぶ。販路拡大よりも、消費者のナマの声につながることで自分たちの農業の方向が見えてくる。14人はそう確かめあっている。「大豆畑トラストのきっかけになった遺伝子組み換えのことだって、はじめはみんな知らなかったさ。会員から言われて勉強したら、これは大変だって」

 

 


「水田トラスト」とは

 2000年、これまで50年以上つづいてきた耕作主義(注・農地を適正に耕作している人だけに農地の売買、賃貸借を認める農地法の基本理念)の放棄と、遺伝子組み換えイネの登場でコメ作りの現場は揺れ動いた。その激動の中で、従来の産消提携のあり方を越えようと「水田トラスト」が提起された。豊かなブナ原生林が残る雄大な山々に囲まれた新庄盆地に“さわのはな”を復活しよう!、と。
お百姓たちは誇り高く宣言した。

「あきたこまち、ひとめぼれ、はえぬき……とは別に農家が自分で食べる分だけ作っているコメがあります。昭和30年代から作りつづけているコメでさわのはな≠ニいいます。普通、コメは梅雨になると食味が落ちますが、このさわのはな≠ヘ梅雨を越しても食味が落ちないという不思議な特性を持っています。……誰に知られることもなく、この新庄の地でひっそりと生き続けています。東北・山形が生んだ文化遺産ともいうべき、この在来種をトラストにかけます。来るべき遺伝子組み換えを撃つために。トラストは、人、農業、生態系のルネッサンス! まずは新庄から、そして全国へ広げていきましょう」(佐藤恵一)


 市民トラスト運動とは、そのシステムの中に参加する人びとの、生態系再生と循環型社会への強い希求と、共に実現することへの信頼を埋め込んでいる運動である。2000年2月に生まれた新庄水田トラストは、市民が出資して水田をトラスト(相互信託)する運動で、生態系を修復する無化学肥料・無農薬農業はもちろん、遺伝子組み換え農産物を作らないことを意志表示する。スタートして5年、毎年開催される「収穫をよろこぶ集い」で、会員たちがトラスト運動への誇りを熱く語っているのを聞くと、農業に生きる人びとと共に新しい社会をうみだしつつあるという確かな手ごたえを感じる。

 新聞で水田トラストが「遺伝子組み換えコメへ危機感、在来種存続へ消費者と協力」(毎日新聞)と報じられると、すぐに反応があった。「こんな運動が必要だと思っていました。一人では何もできなくて待っていたんです」「新聞で皆さまの運動を知り、心が暖かくなりました。とても楽しみにしています」次々と寄せられる人びとの発言に、私たちは生態系の再生と共生への願いがいかに強いものであるかを確信した。現代の社会に抗する時代感覚を要求するトラスト運動は、〈安全な食〉を求めるレヴェルからの飛躍を迫る。水田トラスト運動に参加した人びとには、自らの納得する社会を創ろう、社会に対する責任を引き受けようとする積極的な姿勢が現れている。

 青年たちの環境団体A SEED JAPANの若者たちが、毎年田の草取りを続けている。彼らは6月の終わりに貸切バスで40〜50人がやってくる。2日かけて田んぼを這い草取りをし、夜は百姓たちと遅くまで交流する。あるいは、新庄バイオマスセンターの研究者と意見を交換し、新庄農業大学校の生徒たちと語りあう。

 昨年11月には、NGOのイベント「Be Good Cafe」に「社会的責任投資とおコメ」というテーマで招かれ、新庄のお百姓衆5人は堂々と誠実に主張した。

 「ネットワーク農縁も今年で10周年を迎えることができました。この間大豆トラスト、水田トラスト、水の検査、バイオマスの試みなど、食の安全、環境問題に取り組み続けてきました。これからも皆さんと共にさらなる進化をしていきたいと思っております」(星川公見)

 

アソシエーションの波

 「アソシエーションとは、諸個人が自由意志にもとづいて共通の目的を実現するために財や力を結合する形で社会を生産する行為を意味し、またそのようにして生産された社会を意味する」(田畑稔『マルクスとアソシエーション革命』)。いま私たちは、水田トラストを、新しい21世紀型のアソシェーションとして、多国籍企業が強要している遺伝子組み換え作物に抗する運動として、推し進める。多国籍企業の目的は、特許という手段による種の支配、生き物の支配であり、46億年の地球の生態系の循環、生物の歴史に取り返しのつかない危機を招きつつある。

 「名刺の肩書きは『百姓』。何とわかりやすく誇らしいこと。正直言うと確かに見た目の第一印象は地味な米。しかし食べてみれば目からうろこ。わが家は朝食も米が主流となった。今日も子どもたちは朝からおかわり……」(「さわのはなを食べる会」に参加した小金井のK・Uさん)。

 「さわのはな」とその栽培者たちはファンを広げながら、会員と共に楽しみ・慈しみつつ世界の現実に立ち向かっている。

阿部文子(新庄水田トラスト事務局)



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